2011年8月29日月曜日

「新八方八口」から霊峰月山に登拝

出羽商工会の「観光力研究会」の音頭で始まった「新八方八口」月山登拝が人気を呼んでいます。これは、古くから開かれていた「月山八方七口」の登拝ルートに、新たに立谷沢口(庄内町)を加え、「月山・新八方八口」として現代によみがえらせたもの。
今年は12年に一度の「月山卯年御縁年」にあたることから、月山を取り巻く麓の観光協会が企画した月山登拝ツアーをまとめ、共通のパンフレットが作成されています。
⇒ http://www.dewa-shokokai.com/kankouryoku.html 

すでに7、8月のツアーは終了していますが、9月に主力の数本が催行されます。秋風の立つ霊峰月山に登拝し、古からの山岳信仰を体験しませんか。

<立谷沢口ルート>月山八合目までバスで移動した後、山頂登拝。下山は立谷沢川沿いの月の沢温泉に下り、汗を流す。(庄内町観光協会 電話:0234-56-2921)
★9月4日(日) 日帰りコース

<七五三掛口ルート>
白装束に身を包み、六十里越街道沿いの注蓮寺、大日坊から、湯殿山、月山を目指す。(あさひむら観光協会 電話:0235-53-2111)
★9月10日(土)~11日(日)の1泊2日

<羽黒口ルート>
羽黒山山伏の先達で、出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)の旧参道とパワースポットを歩く。(羽黒町観光協会 電話:0235-62-4727)
★9月10日(土)~11日(日)の1泊2日

<岩根沢口ルート>六十里越街道志津温泉~有名な肱折温泉まで、月山の秘境を山岳ガイドの案内で歩く。(西川町観光協会 電話:0237-74-4119)
★9月24日(土)~25日(日)の1泊2日

 

2011年8月21日日曜日

鎮魂の写経をお願いします

3・11大震災で亡くなられた人々の初盆が終わりました。その魂は、東日本全域に信者講をもつ出羽三山のひとつ「月山」に帰ったことでしょう。月山は古来から死者の納まる山とされており、その月山山頂に、「東日本大震災供養復興経塚」を建立する計画が進んでいます。

具体的には
●「般若心経」の写経原紙に写経していただき、実行委員会宛送っていただく。
●写経一枚ごとに勤行を行い、10月9日(日)、月山山頂に経塚を建て、埋設奉納する。
というものです。(締め切りは、9月15日)

鎮魂の写経に賛同いただける方は、次までお問合せください。

東日本大震災供養復興経塚建立実行委員会
(会長:羽黒山大聖坊 星野文紘)
事務局長=関根理恵子
東京都清瀬市野塩1-348-5
メール:seki-hase@mai.goo.ne.jp

●経塚建立趣意書⇒ http://www.slowstay.org/images/kyouzuka.jpg 



 

2011年8月13日土曜日

東北ボランティア・ツアー奮闘記

我らがメンバーのひとり、「常さん」こと常泉秀昭さんが、今年の5月に東北ボランティア・ツアーに参加した時の様子を綴ってくれました。ちょっと長文ですが、ほんの少しご辛抱願います。写真撮影は、ツアーでご一緒した今井歩さんです。


 【発端】
そもそもは、友人から「5月13日から東北へ行くボランティア・ツアーがあるけど、行かない?」と誘われたのがきっかけです。  
今回の「東日本大震災」に関しては誰でもそうでしょうが、何とかして被災地の力になりたいと思いはするものの、実際にはきっかけが掴めずにいるのではないでしょうか? 従って、友人の誘いは渡りに舟で、指示された「地球の歩き方」のHPで確認し、即刻申込みました。(誘ってくれた友人は風邪で参加できませんでしたが・・・・)
後で知ったことですが、募集開始の初日に44名の定員は満杯になったそうです。更に仰天したのは、出発間際までの取消待ちが何と1,500人も居たとか!4月22日のサンケイNET版に載り、朝日新聞が28日の社説で採り上げ、他にTVでも紹介されたことが、誘引効果を生んだのでしょう。

【スケジュール】
参加したツアーは、企画「地球の歩き方」、旅行手配「トップツアー」でした。金曜日発の2泊5日。往復共に夜行バスなのできついことは覚悟していましたが、中の2泊が花巻温泉泊と言うのも高齢の身には魅力でした。同温泉は高校の修学旅行でお世話になった宿泊地だけに、この機会に恩返しができるとも考えました。

【携行品の準備】
旅行会社から指示された持ち物は、別紙(省略)のとおりですが、新たに購入した用品の総額は5,000円ほど、中でも「ゴム長靴」は一番の高価品?で2,500円。野外の作業現場で使用する、底に鉄板が入っていて釘を踏んでも大丈夫なシロモノ。街中の「作業衣」店で手に入れました。

【いざ、奥の被災道へ】
5月13日(金)定刻22:00、新宿駅西口を大型の観光バスで出発。東北道で一路岩手を目指す。車内ではマイクを握って順番に自己紹介をするが、どうやら自分が最高齢らしく、「足手まといにならぬよう頑張りマース」と言うしかないのが誇らしくも苦笑い。車中は、誰もが眠れそうもない只ならぬ雰囲気、行く手の難行を思ってのことか?

【ツアー参加者は女性上位】
「東日本復興支援」と銘うったツアー、総勢44名の内訳は次のとおりです。
●男性16名に対し女性は28名。
女性が多数を占めるのは驚くに当たらないと、「地球の旅」の今井さんは言う。彼女はボランティア・ツアーの専門添乗員で、海外ボランティア・ツアーの場合90%が女性だとか。うーん、男としては負けるなあ。
●19歳の娘さんから69歳の爺さん(私のこと)まで、年齢層は幅広い。
トップツアーの鷺谷添乗員によれば、この殆どが独り参加で、ボランティア活動は初めてという人ばかりとか。意気込みや良し。

【往きはよいよい・・・】
混成部隊からなる十字軍?は、途中数ヶ所のSAに寄り、未明の前沢を過ぎ、水沢競馬場の横を通る。何とお馬さんが朝の調教をやっているのが見えた。得した気分。県道250線を東へ進む。夏油温泉~横手~江刺を経て北上川を渡る。此処は啄木・賢治の世界だ、「柳青める北上の~」か。田植えが始まっている。小沢一郎の看板も見える。彼は今何処で何をしているやら。

【大船渡市到着】
朝8時過ぎ大船渡市総合福祉センター到着。同会館の駐車場に仮設の「ボランティア・センター」(通称ボラセン)が設置されているが、職員は未だ出勤していない。翌日に訪問した陸前高田市の場合も同じで、被災地はどこの自治体も「ボラセン」を設けて、被災者と県内外からのボランティアの力とを繋いでいる。彼らの具体的な仕事は、
①被災者から必要な作業を募り登録する。
②県内外から支援に訪れた個人(又はグループ)のボランティアを受付し、
③必要とされる作業毎にボランティアを振り分ける。
④作業に不可欠な≪シャベル≫や≪一輪車≫他を貸与する。
 ※作業場への送迎は原則として行わない。

【実際の作業の初日】
5月14日(土):晴れ時々驟雨。
この日、当方のツアーは三つに分割され、私の所属する10人はボラセンから徒歩5分の、個人が経営する駐車場のガレキ整理が割り当てられた。因みに、他の班は側溝のドブ浚いや、体育館のような場所で支援物資(衣類が中心)の仕分けだったそうです。
6台ほどの駐車スペースを軽くみていたのが間違いで、ガレキは優に20cmの深さで積もっているので、シャベルで掘り起こし、雑嚢に押し込み、一輪車(ネコ)で道路脇に積み揚げる作業は正しく土方仕事でした。5月の日差しは強く、熱射病対策に水を頻繁に摂取しながら、時に舞い上がる砂塵をゴーグルと防塵マスクでカバーしながらの作業が休憩を挟んで9時半頃から3時頃迄続いたので、近頃大した運動もしていない身体には、相当堪えました。

【ガレキの中身】
“ガレキ”についてはその実態を想像力で理解をしておりましたが、まったく裏切られました。土の中から出てくるのは、衣類あり、食器類から子供の勉強道具、押入れや冷蔵庫の中身などあらゆる物資が埋まっていました。これは後から自分で定義したのですが、「“ガレキ”とは生活全般である」と。
 加えて、津波によって堆積した“ガレキ”には、「海産物」が含まれています。魚、ホタテ、昆布にワカメ等々。当然に悪臭を発しています。
 作業を終えた後に、駐車場のオーナーが十分過ぎる程の感謝とネギライの言葉を懸けてくれたことで、達成感と共に疲れも吹っ飛びました。

【花巻宿泊】
作業を終えた後は、ボラセンに帰り、代表者が作業の進捗を報告。シャベル等の道具類も洗わないと次回の役に立ちません。
その後は、大船渡から約2時間半をかけ、花巻温泉「幸迎館」に辿り着く。18:45着。
温泉では疲れた身体と精神を癒やすことができた。また、真っ白なシーツを敷いた布団に寝られることは何と極楽か、としみじみ実感。
花巻の湯は分析表によれば「アルカリ性単純泉」とのことですが、とに角ヌルヌルで美肌効果を実感した。後日改めて訪れたい温泉だ。
20:00から大広間で夕食。旅館の食事は? これは期待する方が無理かな。ボランティア・ツアー、支援ツアーなのですから。実際には、1泊目が「カツ定食」で、2泊目が「ハンバーグ定食」でした。また、早朝に旅館を出発するため、朝食のおにぎり2個、昼食用におにぎり3個といった按配。

【参加費のこと】
改めてこのパッケージ旅行の参加費のことですが、バス代、宿泊費込みで一人¥37,000。トップツアー添乗員の鷺谷氏によれば、採算分岐点を25名に設定し、出た利益は、「日赤」等を通さずに、お世話になった大船渡市及び陸前高田市に直接送金することにしているそうです。

【作業2日目】
5月15日(日):快晴 旅館出発は6時なので起床は5時に。朝食用(2個)と昼食用(3個)のオニギリを支給されバスに乗り込む。今日も作業には好都合?の晴天だ。
約2時間かけて陸前高田市へ向かう。報道写真で見たとおり、市街は壊滅状態でガレキの山が累々。その中を車が通れるスペースだけの幅で、路が切り拓かれている。月並みだが「ひどい!」の言葉しか出ない。画像中央に、只一本津波に耐えた松がそびえ立つ。

昨日と同じくボラセンで、氏名の登録⇒名札の受領⇒担当作業の振り分け、道具類の受取りへと進み、ツアーバスで現場へ移動する。今日のメンバーは22人(一行を2分割したもの)、現場は農家の田んぼだ。面積は昨日の10倍強はありそう。また昨日の駐車場よりも海岸に近い為か、ガレキの種類が多い。丸太や瓦も多く、釘を踏んだり腕を引っ掻いてしまう心配もしなければならない。水溜りや泥濘も有る。

【破傷風の予防接種】
旅行社からは事前に破傷風の予防注射をしてくるように指示されていたが、罹りつけの診療所で聞いても扱ってないと言われ、保健所を勧められる。しかしネットで調べると、1回接種後、2週間を経て再接種しなければ効果は無く、事実上間に合わないので結局はして来なかった。より注意して作業を進めることにする。
ボランティアの作業は連日午前9時半頃に開始、一時間に一回の休憩と昼食休憩を挟んで、午後3時にはきっちり終了する。けど、作業中は常に呼吸が荒く、気持ち的には30分に1回の休憩が欲しい。動作が鈍くなると危ない。

【失敗談】
今日は大きなヘマをしてしまい皆にからかわれてしまった。野外作業の現場にトイレは無く、近くの農家の仮設トイレを借りるのだが、その形状は、竪穴に角柱を二本渡し、周囲をビニールシートで囲っただけのもの。其処で用を足そうとしたらポシェットからデジカメを下に落としてしまったのだ。
大きな声を上げたら農家のおばあさんが「柄杓」を持って来てくれたので、巧くすくい揚げると、これ又おばばの持ってきてくれたバケツの水で件のカメラをジャブジャブと洗った。そして、もうだめだろうと覚悟を決めたものの、念の為「電池、メモリー」を取り出し、本体を天日で乾かして置く。暫くして、改めて「電池、メモリー」をセットして映像を確認するも全く機能しない。更に、取り出したメモリーを他の人のデジカメにセットしてみるもダメだった。
 それ以降、今井リーダーから「トイレの注意ならツネイズミさんに聞いて」とされてしまった。

午後も皆で粛々と作業を続ける。すると田んぼのガレキは見る見るうちに片付き、元の田んぼに戻って?ゆく、この様子を今井リーダーが「ビフォー/アフター」としてカメラに収めた。
余談だが、田んぼの主の熊谷さんからは、明日も来て欲しいと言われたが、こればかりはボランティア・センターの意向次第ですから、とお断りする。とは云うものの、皆の気持ちはガレキで埋まった隣の田んぼに目が行く。

今日も一日の作業をやっと終了、というのが正直な実感。早く宿舎に帰り一風呂浴びたい。昨日と同様、約2時間をかけて陸前高田から花巻温泉に戻る。18:45着
 
夕食は、昨日と同じ大広間で「ハンバーグ定食」だが、この状況では贅沢など言えず、また腹ペコなので何を食べても美味しい。我ら男6人の食卓では、皆がご飯(米の種類が違うのかとても旨い)と味噌汁を何杯もおかわりする。

【花巻温泉-幸迎館のこと】 
今回宿泊した「幸迎館」は花巻温泉郷の山ノ神地区にあり、“大正ロマンの香り漂う格天井造りの雅な宿、ゆったりとした間取りと大露天風呂が自慢”とJTBサイトに紹介されている。往時、周辺には「花巻電鉄」と言うナローゲージの軌道車が運転されていて、自分が学生時代には雑誌「旅」の鉄道特集号で必ず読んでいたことでも懐かしい。
 
自分たち男性6人の部屋は、4人用の和室とツインベッドからなる和・洋室だった。よく言われるボランティアはテント生活?のことを思えば、真っ白なシーツの布団にくるまって寝られるのは天国だ。

夕食後は部屋の食卓を囲み6人で遅くまで世間話をしたが、誰もが決して身分を明かさないのが無言のルールだった。新宿着の解散時に解ったことだが、社用車がお出迎えに来ていた身分の方もいたらしい。


【最終3日目の作業】
5月16日(月):快晴
このツアーの間、一度も雨が降らなかったのは幸運だった。いよいよガレキ撤去作業の最終日だ。今日を乗り切れば、夜行バスで東京へ帰ることができる。昨日と同様、朝食用おにぎり2個と昼食用おにぎり3個の弁当を持ち、陸前高田へ向け宿を6時に出発する。但し、昨日の経験から、肉体労働の昼食にオニギリ3個だけでは厳しいとの意見が一部に興り、急遽花巻の街中でコンビに立ち寄り、サンドイッチ他の食料を仕入れることになった。
 
今日もボランティア・センターで改めて登録し、作業場所の指示を受ける。皆の希望どおり昨日と同じ熊谷さんの田んぼが割当てられると、大いに沸いた。
その場所を目指しガレキの山を縫って陸前高田の旧?市街をバスは走る。右も左も瓦礫だらけだ。あの日から早くも2ヶ月を過ぎたのに、全国のダンプカーを動員してでも何故片付けない?との疑問が生じる。
 
肉体労働も三日目ともなると流石にきつい。しかし、山登りと同じで次第に慣れてくる。今日の作業で一番苦労したのが竹の絡まったガレキの撤去だった。引っ張ることも持ち上げることも侭ならず、ノコギリが欲しい、と思ったら、誰かが農家から借りてきて、ガレキの解ける速度が上がる。

【岩手の竹林】
此処で不思議に思ったのは、岩手にも竹林が散見できることだった。浅学菲才の身が覚えている数少ない知識で、司馬遼太郎の著書『まほろばの里(街道を行くシリーズ)』に、「青森の人は上京する時、仙台に近づくにつれ汽車の窓から竹林が見えてくると、ああ南に来たなと感じる」とか。司馬は「竹がイネ科の南方の植物であるからだろう」、と記している。が実際には岩手にも竹林は有ったのだ。やはりこの頃の地球は温暖化しているのだろうか。

最終日の片付け作業も順調に進み、全体の視界も良くなってきた。残った難物は田んぼの真ん中に横倒しになっている乗用車だ。「最後の目標はアレだぞ」とは思うものの結局は時間切れで果たせず、心残りとなった。今井リーダーの「皆さーん、お疲れ様でした、終わりにしましょう!」の掛け声が天からの声に聞こえた。それほど終わりにはクタクタだった。
それにしても、皆さん老若男女が良く動きました。ほんとにご苦労さまでした。
 
もう一つ感心したのは、このような集団が作業をするに際し、強力な命令者が居るでもなく(注、今井リーダーはガレキ処理の場所指定と時間管理をした)、明確なルールが有ったわけでもないのに、夫々がさっさと自分の役割を見付け、あの人が丸太をどかすなら、自分は端のゴミを片付ける、といった具合にやるべき仕事の分担を理解し取組む行動スタイルでした。何なんでしょうか?この目的意識は? 今回のメンバーがボランティアを志すメンバーだったからなのか? どうも、理由はそれだけでは無いと考えていますが、本題から逸れますので。
 
陸前高田市の「ボラセン」へは、シャベルとネコ(一輪車)を綺麗に洗浄してお返しする。此処ではコーヒーの振る舞いも有った。

【盛岡冷麺】
帰路に着く前に、「とうわ(東和)道の駅」に併設されている温泉センターで全身の汗を流し、夕食をとる。岩手の名物を、と言ったら盛岡に住んだことがあるという伊藤さんが「冷麺」を薦めてくれたので、注文した。盛岡の三大麺の一つだとか(他にわんこ蕎麦、じゃじゃ麺)、コシが強く、うどんよりもパスタに近い食感、美味なり。

【帰路】
夜の9時半頃に温泉センターに別れを告げ、一路「東北道」を首都圏に向かう。車中は、安心感?達成感?疲労?からなのか、爆睡する人も多い。 しかし、これほどの心地良い疲労感も久し振りだ。

5月17日(火)第5日目:曇天
途中、時間調整をして朝の6時に新宿西口に無事帰着。オツカレサマー!

<2011年6月11日(大震災から3ヶ月目)に 常泉 秀昭 記>